出会いは突然に…
遡ること….??年前。
当時、学生だった私は日々のご褒美として「猫を飼いたい」 と。
そこで、母と一緒にペットショップや近くのペットサロンに、アメショ(猫種アメリカンショートヘア)or 保護猫がいれば連絡が欲しいとお願いをしていました。
しばらく経ったある日。
お家で1人のんびりしていたところに、ペットサロンから「グレー色の保護猫がいますよ」と。
アメショがグレー色に近いので、恐らくそういう表現になったのだと思います。
そして….. 誰に相談するわけでもなく、ホイホイと何も持たずに迎えにいったのでした….笑
小さな命
ダンボール箱に入った3匹の子猫ちゃんたちと初対面。
生後3週間ほど?で捨てられていたところを、保護されたようです。
子猫たちを上から眺めている光景は、今でもはっきりと覚えています。
お顔立ちは良いのに、小さくて片隅から動かない子。
片や、お鼻が汚れていて丸々とした体、ミャアミャアとなきながら「出たい出たい」とよじ登る元気のある子。
すごく悩みましたが….
「初めて育てるのだから、元気のある子にしよう」
若かったのに判断力はあったんだなと、今更ながら自分で自分に感心します笑
…と同時に、弱々しかった子猫たちはどうなったのだろう….と、ずっと後になって胸が痛みました😫 幸せに過ごせていますように….
帰りに、スタッフの方がご丁寧に哺乳瓶と粉ミルクを持たせてくれて、しかもそのまま抱っこして帰宅。
ちゃんと子猫の育て方を聞いたのか?ミルクのお礼を言えたのかどうか?全く覚えていません。
ようこそ、わが家へ
21年以上も前……画質が少々悪いですが、迎えた頃の写真。
小さくてコロコロ、お腹パンパン😆✨
こんなに小さかったんだなぁと、しみじみ。
正式な名前は、ビビアンちゃん。
いつの間にか呼び方が、ビビ → ビーちゃんへ😊
猫を初めて飼うのに、いきなり哺乳瓶からの飼育になるとは….
数時間おきにミルクをあげたり、おしっこをさせるためにティッシュで刺激したり….
⁉️⁉️⁉️ 刺激をしてみたり??
これは、ちゃんとペットサロンで育て方を習っていましたね笑!
そういえば、ヨチヨチ歩きのビーちゃんのためにガーゼで簡単オムツを作った記憶が😆
ウンチも上手く出来なかったので試作、案の定、可愛さのみで即終了。
一番可愛かったのは、
哺乳瓶を見せただけで走り寄り、チュチュと一生懸命に飲む姿✨
本当に可愛いのですよ❣️
順調に、成長
そんな日々を繰り返しながら、何とか育ってくれて…… 立派なレディ✨に成長。
長毛種か短毛種かなんて、意識した事もなかった当時。
捨て猫?にしては、長毛種は珍しかったと思います。
まさか、こんなに気品のあるレディになるなんて笑 (親バカ全開になるのは当然のことですよね? )
大あくびのビーちゃんですが、いつも「モデル立ち」をしてご飯待ち✨
メスだったからか、特に悪さをする訳でもなく(脱走事件は数回あったかな…)そして、とてもおとなしく手がかからなかったので、
シオン(オス)のアスリート並みの運動量や物を落としてみたりと、いたずらや遊び好きには本当に驚きました😳‼︎
苦しい時もあった
「子猫を迎える準備」なんて、皆無…….ケージなんてなくても大丈夫でしたけど…
「猫の生態」について知らなすぎたので、後々に可哀想な出来事にも繋がったかもしれません😥
ビーちゃんが8歳の時、
私は結婚のため実家を離れてしまい、毎年ビーちゃんに会いに帰省をすること7年ほど….
小さな頃から人間の家族の中で1匹で育ったので、恐らく自分を「猫」と認識していない説が浮上。
たまにお客様が遊びに来て触ろうものなら、怖がって?「シャーッ(怒る)」。もしくは、私の体に触るなんて100年早いわよという女王様気質(プライドが高く、気難しい)で、バシッと手が出るのは日常茶飯事。
そして、無理に触ろうとした時には、軽く噛みついた事もあったとか….
この頃になると、両親が一番お世話をしていたのですが…
甥っ子が帰省するたびに、傷つけてしまうといけないとしばらくは別の部屋に隔離されていました。
余計にヤキモチをやいて、ますますイライラするビーちゃん。
相当なストレスがあったと思います😫
もちろん、徐々に慣れていき…隔離されていた「扉」は解放される事になっていくのですが…..
「そっちの部屋にいきたいよ」と訴えるので….😭 その最中は、本当に胸が痛みました。
小さい頃から人馴れさせていれば、怖がって隠れることもなく手が出たり噛みついたりもしなかったと思います。
それと、なるべくご自身の「手」を使っての遊びは控えてくださいね!
これは、噛みつき癖をなくすためです。
動く物に反応するので、「手」がおもちゃとなりお遊び感覚で飛びついたり噛んだりします。
そのため、小傷が絶えず出来てしまいますよ😅
そういう時には、手の代わりにぬいぐるみを噛ませてあげましょう✨
別れはいつかやってくる
2014 年2月21日…..母からの電話。
ビーちゃんが「虹の橋を渡った」と連絡が入りました。
享年 20歳と6ヶ月。
老衰のため、1週間ほど前から調子が悪いとは聞いていました。
最期は、母の前で大きく息をはいて旅立ったそうです。
そして、亡くなる直前までヨロヨロとトイレに歩いていった話など、2人して号泣しながら慰め合いました。
誰よりも長く時間を共に過ごした母が、一番辛かったと思います😫
離れていたので最期に言葉をかけられなかったことが、今でも心残りです泣
父は、ビーちゃんが虹の橋を渡れるように、
いくつかのペット葬儀場へお話しを聞きに下見を済ませていたようで(感謝)…. 落ち着いて見送ることができたそうです。
火葬場で焼かれた骨は、小さな骨壷に納められ霊園内のたくさんのお友達(同様にお星様になったペット)と共に納骨。
その後は、両親が法要に合わせて供養してくれています。
私も初めてペット霊園に訪れた時は、本当に驚きました。
その昔…. 私が小さい頃、祖父宅で飼っていた犬が亡くなった時は敷地内の裏庭に埋めた事があったので💦
ペット専門の納骨堂があるなんて知りませんでした。
そこでは、長年ご供養をなさっているだけあって納骨堂にある骨壷の数が凄かったです。圧倒レベル😳
中でも、やはり大型犬ともなると骨壷が特大。
ペットをたくさん飼っていた方は、専用の祭壇を借りて(有料)お写真も一緒に飾っていました。
大切な家族ですからね。
納骨堂なのに、たくさんの飼い主さんの思いが伝わってきてほっこりしました。
さらに、人と同様に法要があってまたまた驚きました。
【追悼法要】
○初7日、49日、1周忌、3回忌などの法要を取り行っております。
○3月と9月の彼岸に、合同法要を執行致します。(案内状配布)
○七月盆に永代新盆法要を致します。
本当に大きな病気もせずに、20歳まで長生きをしてくれました😩✨
ペットは大事な家族であり、一番身近に「生と死」について考えさせられ、
また、亡くなるまでの「一生(いっしょう)」を見届けることができる存在なのだなと改めて思いました。
お子さんが小さい頃からペットと触れ合うことができれば、
色々な感情を経験して、きっと優しい心の持ち主になるのだろうなぁと…..✨
虹の橋
いつか….私よりも先に旅立ってしまうかもしれない、シオンとファランへ….
約束をしています。
「虹の橋のふもとで待っててね」
「みんなで一緒に橋を渡ろうね」